2016年07月29日

自意識とアイデンティティ

先日、ある人から質問がありました。

「現代社会においてどのジャンルでも人が人に興味を持たなくなっているような気がするのです。」「イベントなど企画したときも対岸の火事のような感覚を覚えるのです。」「それはどう打開していけばいいのでしょうか。」

人に興味を持てない、何かに参加しても周りの人に同調できない、対岸の火事のような感覚を覚える、このようなコミュニケーションからの離脱感を私たちはいろいろな状況で感じることがあります。なぜこんな感覚が自分の中に生じるのでしょうか?

先日まで、「感情」について書いてきましたが、この「離脱感」の問題は、これから書こうとする「感情と表現の関係」にも大きく関係するので、少し先になりますが検討したいと思います。

この「コミュニケーションの離脱感」を考えるには、心理学や脳科学の面からだけでなく、社会心理学や社会学の面からも検討する必要があるでしょう。

まずは、「どう打開すればいいのか」という質問に答えるために、心理学の面から考えてみたいと思います。

私たち俳優は、先輩から「俳優は第3の自分。」「自分を見ている自分」を持たなければならない、と俳優の勉強を始めたころによく言われました。

「自分を見る自分」、つまり自分の身体が今どういう形をしているのか、どういう行動をしているのかを意識的に認識することだと考えられます。
一方で、俳優などの表現者は、自分の表現が人にどのような影響を与えているのかも認識しなければならない、というのが先輩の諸氏がいう「第3の自分」ということになります。

これは人間ならほとんどの人が持っている「自意識」に他なりません。心理学でよく言われる自意識とはどういう意識なのでしょうか?

この「自意識」は、表現にとって大きな影響を与えるものなので、別の機会に詳しく検討するとして、解りやすい例を挙げてみましょう。

最近の動画で、猫が鏡をみてそこに写っている自分に対して毛を逆立てて威嚇している動画がよく見られます。つまり猫は鏡に写っている姿を自分だとは認識していないのです。一方で人間は、個人差はありますが、1歳ころになると、初めて鏡を見てしばらく見ているとそこに写っている姿を自分だと認識するそうです。これは人間には1歳ころには自分を認識していることに間違いはありません。
自分の身体がどのような形になっているか、どのような動きをしているのかを知っているから、それと同じ形や動きをする鏡の姿を自分だと認識するのです。
この自己認識は、猫や犬程度では発達していない場合が多いのですが、チンパンジーなどの類人猿になるとそれを自分だと認識するようです。また、象やイルカも鏡をみて自分だと認識できるのです。

では、犬や猫やほかの動物には自己認識はないのでしょうか?
いいえ、決して自己認識がないわけではありません。ただ今回は鏡という視力を頼った認識方法でしたが、嗅覚の発達している犬や聴覚が発達している猫もそれぞれの感覚の中で自分を認識して他の個体と区別しています。

しかし、人間以外の動物は、その自分の姿がどのように影響を与えているのか、どのように感じているのかを認識していません。人間は、自分の姿が他人にどのように感じさせるのかを意識しているのではないでしょうか?
その日の服装を決めるとき、自分の好みに合わせて服を選びます。または、その日の気分によって変えたり、その日のTPOに合わせたり、といろいろな状況に合わせて服装やメーキャップを変化させます。
この他人にどのような感覚を持たせるかを想像し、その行動をとることが自意識です。

この自己認識から自意識の発達に関しては、別の機会にもう少し詳しく検討してみたいと思います。

この自意識は、姿だけではありません。コミュニケーションの中で自分の行動や行為にも意図した表現をする自意識が生まれています。例えば男性なら、争いごとになると威嚇するような表情をしたり、戦いになると武器を感じさせるような威嚇をしたり、女性なら、同情を買うために涙を流したり…、これは意識的にやっているわけではない?…いいえ、女性の中には意図的に涙をながす人は見受けられますよ。

しかし相手に対する影響を予測するためには、自分の行為、行動や表現が他人にどのような影響を与えるのかを知っていなければなりません。この予測は、その人自身の経験だけでなく、他の人の行動や表現を見て、それがどのような影響を与えたのかを記憶していることにより、予測できるようになります。

特に他人の行動や表現とその影響を記憶しておくことが、この予測に大きな影響を与えています。そしてそれが社会のアイデンティティへとつながっていきます。この辺りは、この後のアイデンティティの中で話したいと思います。

一方、私たちが行動や表現をとるうえで、自分自身の感情が大きな影響を与えています。そしてその感情は、ただ単に怒りや悲しみ、喜びなどの感情だけではありません。その感情を呼び起こす周りの状況や雰囲気、自分の体調や気分、また、自分自身のアイデンティティが大きな影響を与えているのです。

自分自身のアイデンティティに関しては、アイデンティティのところで述べますが、アイデンティティは、自分自身が形成してきた価値観や、自分自身の自尊心、顕示欲、そして自分が取得している行動や行為、表現の方法が大きな影響を与えています。

さて俳優やタレントなど自分の身体を使った表現者は、多くの表現方法の習得するだけでなく、この自己のアイデンティティをコントロールすることを中心に行っています。
表現とは、決してその人だけが目立つことで人に強い影響を与えることはできません。周りの状況や雰囲気、目的などと調和をとることで影響を与えることができるのです。
つまり俳優やタレントなど自分の身体を使った表現者は、自己のアイデンティティを社会のアイデンティティに調和させることを最も重要視しているのです。

そのためにその場の状況や雰囲気、また目的や目標をとらえている必要があります。つまりその時のそのグループのアイデンティティを明確に捉えていなければならないのです。

自意識に戻りましょう。私たちがプロの俳優として認められるには、多種多様な表現方法を習得するとともに、それぞれのどのような表現方法をとることが自分自身のアイデンティティをそのグループのアイデンティティを調和させることができるかを的確に予測できることを求められています。
これが「第3の自分」ということになります。
そのために、自分のアイデンティティとして形成してきた顕示欲や自尊心、価値観などもコントロールしているのです。
ある時には顕示欲を抑え、ある場面で強い表現をする。このコントロールによってそのグループの目的に即したより強い影響を与えようとしているのです。

これは一般の社会におけるコミュニケーションにも同じことが言えます。
ある場面では引き、ある場面では自分を表現する。これによってグループのアイデンティティと調和させ、そのグループの一員としてより多くの人に影響を与えることができる。

しかし現代の社会は、表現方法や社会の価値観が多様化しています。その中で人に影響を与えることができる手法は数限りなく多様化しています。その多様化の中で自分の顕示欲や自尊心を満足させること、人に自分自身が影響を与えることがやりにくくなっているのです。
一方で社会も、というより個人も人の表現を認められなくなっています。情報や知識の多様化で、人の影響を受けることが少なく、その人の個人的な表現を認めようとしなくなっているのです。つまり他人の表現を否定的にとらえ、その目的の別の側面に焦点を当ててしまう。その結果、多くの人に関心を持てなくなってしまう。

そうして人の表現を否定的にとらえ、別の目的に焦点が行くことによって、そのグループ自体のアイデンティティさえも否定的にとらえてしまう。これが自分自身の表現方法をも狭めてしまっています。そのことによってグループのアイデンティティと個人のアイデンティティを調和させることができないのです。
これが対岸の火事のような感覚を持たせてしまいます。

これらに対処する方法としては、自己のアイデンティティを高めることが一つの方法だと思います。
自分が持つ信念やポリシー、また表現方法に対してこだわりを持ち、その表現方法を特化することを目的として習得していく。
今の社会は、表現方法の多様化が進み、その表現が情報としてあふれています。その表現方法を超える必要はありませんが、自分のアイデンティティに即した表現方法を習得し、その表現方法にこだわりを持ち、周りの状況や自分の状態に合わせた表現をとっていく必要があるのです。

現代の社会は、自己顕示、これは個人だけでなくグループに関しても顕示すること、目立つことが中心になっています。しかし、この顕示は、個人やグループのアイデンティティに根差したものでなければ、希薄なものになってしまいます。
今の多くの会社も、社会的に認められている会社は、アイデンティティを明確に形成することができているのだと思います。一方で大きな会社でも、アイデンティティが失われるともに、社員の不祥事や事故が起こり、社会的に批判を浴びるという結果を生みます。
これは、リーダーシップをとる人たちの重要な課題です。

これは個人のアイデンティティにも言えることなのです。
今、僕が社会活動、コミュニティ活動に関心を持っているのは、コミュニティ活動を行うグループにこのアイデンティティの形成ができているのかどうかという点にあります。
今の若い人たちは、自分を顕示できる場所を求めて、コミュニティ活動に参加する人が多くみられます。しかし本来の表現はそのグループの中でのアイデンティティの発揮であり、個人的な顕示ではありません。これを見失わないようにしなければと思っています。

このアイデンティティの明確化は、コミュニケーションの離脱を感じさせない一つの方法です。このほかにもいろいろな手法があるでしょう。ただ、今回の表現の学校として、表現にとって欠かせないアイデンティティという問題を提起したに過ぎないと考えてください。

言葉の意味に、とらえ方の違いがあるかもしれません。この内容ブログの内容に関しては、いずれまた検討したいと思います。皆さんもこのことに関してご意見をください。

次回は、感情に関してを置いておいて、アイデンティティに関してもう少し進めて検討したいと思います。

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2016年05月26日

感情について(2)

 人間になぜ感情というものがあるのか、今回はそれを考えてみたいと思います。

 動物だけでなく、地球上の生物には絶対的な命題が2つあります。それは自己保存、つまりその生命体自体が生きながらえること、そしてもう一つは種の保存、子孫を生み、その種族を残していくという命題です。なぜそのような命題が与えらえたかは、まだ哲学的な問題なので今回は触れませんが、動物にはその種の保存と自己保存を効率的に行うために動きを与えられたと考えられています。

 例えば、自己保存のためには何らかの栄養を摂らなければなりません。その栄養をただ待っていたのでは、必要とする栄養を得られないだけでなく、場合によっては栄養を得られず生きながらえることが不可能になります。生物が必要とする栄養を摂るためには、栄養を有する食物のある方へ動くこと、もしくはその栄養を持っているものを捕らえる必要が生じてきます。

 また地球上に存在する生物のほとんどの多くは、雌雄に分かれています。これはその種が環境の変化に対応するために、性淘汰という種を変化させるための方法を与えられています。そのため異性を求めなければ、種の保存を果たせません。植物は大量の花粉を風に乗せて運ぶことで受粉させたり、昆虫や動物に頼って受粉をさせたりしていますが、これは可能性に頼っています。とすると移動や行動によって捕食する行為や異性を見つけて性行為を行ったり、生まれた子孫が同種の生命体として存在するための変化を手助けしたり、その種として自己保存するための方法を伝えたりする必要が生じてきます。

 ここに動物の行動や行為の原点があります。つまり大量の花粉を作り出してそれをまき散らすことで受粉するのではなく、一度の行為で受精し子孫を生む。また自分の周りにある栄養だけでなく、その栄養を持つ食物を採取もしくは捕食という行動で栄養を得るなど、効率的にこの自己保存と種の保存を果たすために行動を与えられているのです。

 しかしこの行動や行為を行う際に、その事象が起こってからではその行動による結果を生み出すことができません。結果を生み出すためには予測が必要なのです。
 例えば、栄養を補給できる餌となる食物はこちらの方向にあるとか、この時季に性行動を行わなければ子孫を育てられない、そこにあるものが食物となるものかどうか、また自分自身が捕食されないためにどういう行動を取らなければならないというような予測がなければならないのです。

 この予測が動物の行動や行為の原点となります。現に酸に弱い単細胞生物であるミドリムシは、酸のある方向から離れようとする性質があることが分かっています。つまり酸のある方向を予測しているのです。
 もう少し高度になり脳という記憶する機能を持つ臓器を持つとともに、その予測を経験による記憶に頼り始めます。こちらの方向に餌があるとか、これは餌となりうるものかどうかとか、この時季に性行為を行わなければならないというような予測が判断を生み出し行動を起こします。

 その予測が行動を生むための判断が感情の原点なのです。お腹がすいたという欲望は、摂食や捕食という行動を生み出します。自分が捕食されないために逃げる行動を生み出すために、恐怖という感情が生まれ逃げるという行動を起こします。一方で摂食や性行為を行おうという行動を邪魔されたり、横取りされたりすることに対して怒りを覚え、追い払ったり、争ったりという行動を起こします。つまり感情こそが行動の起因となるのです。

 動物にとって感情は、欲望とともにある目的を達成するために行動を誘発するものとして発達してきました。そして脳という臓器の発達とともに、経験による記憶を持てるようになるとともに予測することができるようになり、その予測を基に行動や行為を誘発するものとして感情は発達してきたとかんがえられているのです。

 昆虫のような下等動物でも、この花には蜜があるとか、身に危険を感じると逃げたり、威嚇する行動をとったりというような予測が見られます。下等動物に感情があるかどうかは調べようもありませんが、少なくとも予測しその予測を基に行動していることは間違いありません。
 しかしこの段階では、記憶の容量が少なく、感覚による外部の情報が少ないため、論理的な想像ができず、YesかNoというような単純な判断しかできません。例えば魚は疑似餌を単純に餌と感じ、食いつきます。魚の脳では、それが本当の餌なのか餌に似せた罠なのかは想像できないのです。

 より高等な動物になると、他の動物に対して高度な予測を働かせ始めます。脳に大脳新皮質という部分が加えられるとともに脳の記憶容量が増え、外部の情報に対する判断基準が大幅に増えるとともに、選択肢が増え、脳の中で論理的な想像を働かせ始めます。例えば、このタイプの動物は自分を捕食しようとしていると予測するとともに、恐怖という感情が芽生え、逃げるという行動を誘発します。しかしその動物が今は自分を捕食しようとしていないと判断したり、これだけ離れていれば自分は捕食されることはないというような判断ができるようになります。また卵を産みもしくは出産し子どもを育てるために、また自分の身を守るために、ある特定の場所に、ある方法で巣を作るという行動により、安心という感情が生まれます。つまり単純な予測だけではなく、経験や子孫継承による論理的な想像を働かせて判断するようになるのです。

 さらに高度になると、同種の動物同士が自己保存や子孫保存のために集団を形成します。その集団が形成されるためには、コミュニケーションが必要になります。そのコミュニケーションという行動を取るためにも、想像が必要であり、感情が大きな役割を果たし始めます。オスとメスで子どもを育てるとき、交代で卵を温めたり、子どもを守ったりする行動には明らかにコミュニケーションがなければなりません。逆にメスを獲得するためにその集団のオスに闘いを挑んだり、そのオスに対して怒りを覚え対抗したりするように、そこには明らかに感情が基となって行動を起こしています。

 このように共同で生活するようになると、それぞれの個体に役割や階級が生じて来ます。これがそれぞれの個体にアイデンティティを生じさせ、このアイデンティティがより複雑な感情を誘発します。
 大脳皮質、つまりコミュニケーションを駆使するより高度な動物が発達させてきた大脳の新皮質は、主にそれぞれの個体の判断を扱います。大脳皮質の役割については後述しますが、下等動物ではここに生じた感情が行動に直結していましたが、何らかの形でコミュニケーションをとるようになると、多くの記憶や外部や身体からの情報をもとにいろいろな想定を立て、その中から何を選択するかの判断が必要になります。この判断の基準の一つが、アイデンティティなのです。つまり動物がコミュニケーションをとるようになると、感情と行動や行為の間に想像による判断という機能が生じるのです。そして人間のように言語というコミュニケーションツールを駆使し、道具を使うより高等な動物は、言語による記憶の固定化による膨大な情報と道具による手法の多様化により、多くの予測の中から判断を要求されるようになりました。これが類人猿、特に人間が大脳皮質をより発達させ大きな要因と言われています。

 この想像により判断する行為が知性であり、この知性は発達とともに、行動や行為を目的とした筋肉の動きや身体の変化を緩和し制御する役割を持つようになります。

 高等な動物にとって集団を形成するということは、大きなメリットがあります。補食されそうになった時、より多くの同種の仲間がいると補食される可能性が低くなります。補食しようとする敵の発見も可能性が高くなります。逆に高度なコミュニケーションを発達させると、共同で補食したり、子どものように補食する技術が未発達の個体も食物を得る機会が与えられ、そのような生存するための技術や知識を子孫に伝える事ができるようになります。

 コミュニケーションにより集団を形成すると、そこにはまた新たな感情が発生し、新たな行動や行為、またそれぞれの個体の変化が生じます。愛情や悲しみなどの感情は、コミュニケーションによって生まれる典型的な感情であり、その感情は行動を起こすというよりは、自身の身体に変化を与えます。その変化は、部分的な筋肉の緊張や弛緩だけでなく、体液の変化、ホルモンの分泌などに及びます。この身体的な変化により、その事象はそれぞれの個体に明確な記憶として残り、その感情を伴った記憶は、その後予測や想像につながります。
 ここで重要なのは、筋肉の動きなどの身体的な変化があることによって、いろいろな事象が記憶として残るのです。

 記憶の中でも感情を伴った記憶は、予測や想像、またその個体のアイデンティティの形成に大きな役割を果たすと言うことです。後述しますが、感情には行動やコミュニケーションにとってより積極的な活動を促すプラスの感情とコミュニケーションや行動を消極的にするマイナスの感情があるということになります。そしてこのプラスの感情やマイナスの感情を伴った記憶が判断に大きな影響を与えます。

 ここまでの感情の成り立ちと役割は、人間においても無意識の中で行われることです。人間には、意識と無意識という境界があります。他の動物に意識があるかどうかはいまだ解明されていませんが、この意識と無意識という問題は脳科学の中で今一番命題となっている部分です。これについては別の項目で十分検討しなければならないと考えています。

 つまり高等な動物になると、感情は行動や行為の起因から、将来判断するための膨大な情報を整理、統合し、記憶としてとどめるためのツールと変化したのです。
 これが感情の成り立ちであり、感情が進化のなかで失われることなく発達させてきた要因です。

 次項以降では、想像による感情の発生について考えてみたいと思います。
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2016年05月12日

感情について(1)

表現にとって最も重要な感情について、いろいろな観点から書いてみようと思います。

 みなさんは感情というと、怒りや喜びなどの喜怒哀楽を感情と呼ぶと思っているでしょう。心理学でも感情とは怒り、恐れ、快、不快などを感情と呼び、これに筋肉の反応が伴うものを情動と呼んでいます。
 心理学では、多くの心理学者が喜怒哀楽と欲望とは分けて考えています。現在の心理学では基本的な感情は6つあると多くの心理学者が考えています。その他、心理学では覚醒、睡眠や意識、無意識、この他、近年「背景的感情」、つまり空腹感や睡魔、疲れているなどの気分と分けて考えるのが一般的な考え方です。

 しかし脳科学では、欲望や気分、睡眠や覚醒なども同じ仕組みで起こるという意味で感情と同類と考えられており、脳はこれらを分けて考えていません。空腹感とは、自分の身体が何らかの栄養、例えば糖質を欲しており、胃の中が空であれば、空腹という気持ちを持ちます。しかしそれが何らかの外からの原因で空腹感を抱いたとしたら、同時に怒りを感じたりします。また、泣き笑いや怖いもの見たさなどのように悲しみと喜び、恐怖と関心などが同時に起こることもあるのです。これは何を意味しているのでしょう。
 つまり、ほとんどの感情が違う経路で自分の中に起こってくるものなのです。脳科学では、5つの感情の経路が見つかっています。例えば、怒りや恐怖などは、桃下垂体が大きく関わっているようです。
 そして脳の中で起こるこれらの感情や気持ち、意識や無意識、覚醒と睡眠などはほとんどすべてが身体の変化を伴うのです。特に情動を代表とする感情は筋肉の動きや体液の変化などの身体の変化が顕著に表れます。この身体の変化が起こるということが感情の非常に重要な課題なのです。この筋肉の動きなどにより、自分自身に変化が表れ、これが他の人に伝わるのです。
 これらの感情や気持が別の経路で起こるために、同時に起こることがあります。そしてそれらの感情や気分、気持ちが同時に起こることで、複雑で微妙な感情や気持が生まれます。感情や気分が身体の変化を伴うため、同時に起こるときに微妙で複雑な変化が起こり、人に微妙な変化が伝わります。そしてこれが人間の社会的な構造に大きな影響を与えているのです。
 
 さてこの感情はどのようにして起こるのでしょう。動物は外部の情報を得るためにいろいろな感覚を持っています。人間なら、五感、つまり視力、聴力、嗅覚、触覚、味覚の五つの感覚です。この感覚によって自分の身体のそとの情報を得ています。他にも鳥は地磁気を感じる能力を持っているといわれていますし、こうもりやイルカなどは高周波の音波を感じるといわれています。これらの感覚から得られる情報によって感情は起こるのだろうと考えられています。
 一方で、自分の身体の情報、例えば体液の情報は脳の視床下部から得られ、そのほかにも筋肉の情報は延髄や橋、小脳が大きく関わっていると考えられています。この自分の身体情報も欲望や感情を起こすのです。
 もう一つ重要な感情を起こす要因があります。それが脳の中で行われる想像です。高いところに立った時怖いと感じるのは、落ちるのではないかという想像で怖いと感じるでしょう。この想像が感情を起こす最も大きな要因ではないでしょうか。
 特に人間は、他の動物より優れている面は、この知識記憶、概念記憶からくる想像です。そういう意味で他の動物より複雑な感情、つまりいくつもの感情が同時に起こることがあり、それが人間の中で微妙な感情、複雑な感情を起こすのです。

 感情には、量的なものが大きく関わっています。脳の中では、この量的なものも伝えていると考えられています。一つの感情が脳の中で伝わるときに、別の経路で感情の強い弱いを伝えているのではなく、同じ感情の伝播のなかで量的なものを伝えているのだと考えられています。

 この量的な伝播と想像を起因とする感情が、後述する表現に大きく関わってきます。

 感情が起こる要因をもう少し詳しく考察し、また感情がどのように人間や動物に備わっているのかを今後の話題の中で考えてみたいと思います。
 
 
タグ:表現の考察
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